icon-plane 占領時代、日本式の教育を受けたマレー人に戦時中の話を聞いてみた

占領時代、日本式の教育を受けたマレー人に戦時中の話を聞いてみた

マレーシア人と話したり、マレーシアで出版されている本を読んだりすると、ときどき出てくる戦争時代の話。
断片的な情報は聞いていたけれども、一度ちゃんと知っておきたい。
そう思っていたところ、マラッカで占領時代を経験したマレー人にお話を聞くことができました。

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今回、お話を伺ったのは、ジャフアー・ビン・ハッサンさん(82歳)。

ジャフアー・ビン・ハッサンさん(中央)と妻のサリパー・カシムさん。三人の子供達と一緒に

ジャフアー・ビン・ハッサンさん(中央)と妻のサリパー・カシムさん。三人の子供達と一緒に

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若い頃のジャフアーさんの写真。日本人に似ている顔立ちだ

ジャフアーさんは1934年にウジョン パセー(世界遺産のバンダー ヒリル近くの村)で生まれ、3人の男の子の父。うち一人は日本に留学しています。妻のサリパー・カシムさん(73歳)は元小学校教師。マレーシアの電力会社に25年間務め、元マラッカバドミントン代表だったこともあります。

ーー日本軍が占領したときには何歳でしたか?

1941年、日本軍がマラッカにやってきたときには8歳でした。
その前は英国がマラッカを統治しており、マレー式の学校に4年行ったあと、英語の学校に行くのが普通でした。
僕はちょうど小学校1年生に上がるところだったので、日本式の学校に行きました。

ーー当時の日本の学校について教えて下さい。

学校には日本人はおらず、日本語のトレーニングを1年ほど受けたマレー人の先生が子供達を教えていました。
その学校で1年間習いました。
教科書もすべて日本語で、科目はすべて日本語で教わりましたが、実際には先生がマレー人なので、マレー語も話していました。
学校は朝から昼までで、毎朝、歌を歌いながら行進しました。まだ当時の日本語の歌を覚えています。
柔道や相撲の時間もありましたね。日本の名前をつける必要はなく、僕は学校では「ジャファルさん」と呼ばれていました。学校自体は楽しかったです。

 

◼︎日本軍が来てから食糧難がはじまった

 

ーー生活はどう変化しましたか?

日本軍が来たとたん、外からの食料が入ってこなくなりました。イギリス統治時代は、生活には困らなかったのですが、食料や日用雑貨はすべてクーポン制となり、少ない食料を家族で分け合う日々がはじまりました。米ができても没収されてしまうんです。

当時はもらった食パンも硬くて、投げたら壁が壊れるほどでした。いつもお腹が空いていました。
日本軍から指導され芋やタピオカを庭で作り、食べていました。小さいカニでも食べました。

ある日、4人の軍隊が家に来て、「自転車がないか?」と聞いたことがあります。あれば取られてしまうので、ドリアンの木の上にくくりつけて隠しました。

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マラッカのホテルに展示されていた1941年に日本軍がマレーシアに入ってくる当時の写真

 

自由もなかったです。当時村に1つあったラジオも聞くことは禁じられました。自転車も取られてしまうからどこにも行けない。

日本軍は当時、タイとマレーシアを結ぶ鉄道を作るため、人を集めていました。当時のマラッカにはたくさんのインドネシア人が住んでいたのですが彼らの数人は連れて行かれました。
また綺麗な女の子は連れて行かれるというので、私たちはわざと変な格好をさせたり、醜い化粧をさせたりしました。また多くの女性が非常に若い年代で結婚しました。私の妻は母親が14歳のときに生まれています。

ーー反抗はしなかったのですか。

力がないので、反抗はしませんでした。日本軍は怖い存在で、反抗すると首を切られるという噂がありました。でも自分の知っている範囲で殺された人はいませんでしたね。殺されたのは、共産主義者とかゲリラではないかと思います。

日本人は中国人には厳しく、中国人も反抗していました。ジャングルで共産主義者になり、ゲリラ戦をしていた人もいます。マレー人もいますが、数は少なかったと思います。
また、私の父も反抗していて、 日本軍のオフィスの前でお辞儀しなくて叩かれました。日本軍でも上層部の人は良い人が多く、下の人ほど人を叩いたり、よくなかった。
村長など、上のほうの人は日本軍からのベネフィットが欲しくて、他人の告げ口をしたり、住民を監視したりする人もいましたね。

ーー日本の敗戦を知ったときはどう思いましたか。

日本が負けたと聞いたとき? もちろん、嬉しかったですよ。一番大変な時期だったので。

イギリスが戻ってきて、生活は徐々によくなっていきました。
マレーシアの民族は、もともとイギリス人の統治時代にマインドセットされたというのもあり、やっと彼らが戻ってきて、落ち着いたという感じでした。イギリスのほうが、人の考えをコントロールするのがうまかったのだと思います。スルタンにまでお金をあげたりしていましたからね。

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自宅に今も残っている当時の日本政府発行の5ドル札

 

ーー英国式と日本式で統治方法に違いはありましたか。

イギリスが民族ごとに別の仕事を与えてコントロールしたのに対し、日本はすべての民族を同じように扱いました。

イギリス統治時代はマレー人は可愛がられて働かなくても良かったのですが、日本は勉強や仕事をするように促したのです。日本軍が来たおかげで、怠惰だったマレー人が仕事をするようになったのは良かったと思います。英国統治時代は1日コーヒー屋でコーヒーを飲んでるような人でも、日本人に叩かれて、働くようになりました。
村の人々にタピオカなどを育てる命令を出しました。石鹸の材料にするからと灰を集めて渡したり、パイナップルの木から糸を作ったりしました。

マレー人に対して、家の周りに畑を作って自給自足しなさいという指導をしました。これはいまでもまだやっていますが、良いことだと思います。知り合いは空港で働いて、飛行機の操縦ができるようになりました。

ーーその後、お子さんが日本の九州大学に留学されます。

 

留学が決まったときは、嬉しかったです。戦後、焼け野原から日本が発展してきたのを見てましたし、ルックイースト政策でマレーシアは日本を見習っていた時期ですからね。日本人は欧米から技術をとって利用するやり方をしていて賢いなと思っていました。

日本には2回行きましたが、人はフレンドリー。田舎だったためか、小さい子も挨拶をきちんとするような文化でとても良かった。道も綺麗でしたしね。

日本に恨みがない理由ですか? 宗教の教えが強いかもしれません。イスラム教では相手に復讐してはいけないんです。どんなにひどいことをされても、相手に優しくしてあげないといけません。敵にも優しくすると、相手が変わるんです。私たちは神様を信じているから、いいことをしたら、いいことが起きると思っています。そうそう、イスラム教に改宗した日本軍もいましたので、次回はそのお話をしましょう。

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(マレー語翻訳協力) Amirrudin Jaafar

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