icon-plane なぜ外国人は自分が知らない場所の道を教えようとするのか?

なぜ外国人は自分が知らない場所の道を教えようとするのか?

 

外国に行ったときに、外国人に道を聞くと、知らないのに教えてくれると行った経験がないだろうか? 日本人は自分が知らない場所の道を教えようとはしないのに、なぜなのか。これには「意図」と「能力」に対する考え方の違いが隠れている。

 

先日、自分の勤めている大学のマレーシア人の大学院生が面白いことを言っていた。

 

彼が日本に行ったとき、道がわからなくなって誰かに尋ねると、日本人は正確な道順がわからない限り、絶対に教えてくれない。そのことに彼は驚いたという。マレーシア人は、自分の知っている限りで、できるだけ教えようとするのだそうだ。たとえそれが間違っているかもしれないとしてもだ。

 

筆者も同じ経験を何度かしている。ショッピングモールなどで、トイレやATMの場所がわからず、近くの人や店員に尋ねると、ほぼ必ず教えてくれる。だが、彼らの言う通りに進んでも、たどり着くとは限らない、むしろ間違っていることの方が多い。他の人に何度か聞いてやっとたどり着くこともしばしばだった。

 

当初は、そんな間違った道を教えた人に対して「あいつ、テキトーなこと教えやがって」と思っていたのだが、学生さんの話を聞いて考えを改めた。

 

マレーシアでは、「道を教えてあげようとする親切心」と「正しい道を教えてあげられる能力」は別物なのだ。もちろん、両方が揃わらないと、正しい道は教えられないが、マレーシアでは「自分はあなたに協力的ですよ」という姿勢を見せることが、重要だ。それに対して、日本人は、自分に教えられる能力がないならば教えない、という態度をとる。

  筆者は、日本人のそういう行動を悪いことではないと思っている。それは、「ものごとをきちんと責任を持ってやる」と覚悟を示すことと表裏一体だからだ。

 

問題が「やる気によるものなのか」「能力によるものなのか」で対応が変わる

 

しかし、意図と能力の区別をつけないと、的外れな行動をしてしまうことがある。例えば、職場で部下が失敗したとき、それが部下のやる気のなさ、つまり「意図」によるものなのか、運や実力といった「能力」による失敗なのかを、見極める必要がある。なぜなら、原因が「意図」か「能力」かによって、対処を変える必要があるからだ。だが、ただ失敗を責めるという上司が意外に多い。意図と能力の区別をしていないからだ。

 

もし「意図」が原因なら、部下の仕事に対する姿勢やマインドセットを変える必要がある。変わらないのならば、辞めてもらうしかない。もし「能力」が原因ならば、能力を伸ばすにはどうするかを考える。それは社員教育やジョブトレーニングという人事の問題となる。

 

筆者の研究から言えば、「意図」の方が「能力」よりも重要だ。いかに能力があっても、一生懸命働くとか、役に立とうする意図がなければ、絶対にうまくいかないからだ。能力は、協力する意図があって、初めて伸ばすに値するものになる。

 

日本でときどき困るのは、意図と能力の区別をしないまま議論をし、話がかみ合わなくなったり、誤解を招いたりすることだ。例えば、部下が失敗した原因を、意図に決めつけて精神論を説いたり、長々と説教をしたりすることになる。能力と決めつけた場合、やる気のない社員に高いコストをかけて社員教育を施すことになる。

 

深刻な問題を引き起こす意図と能力の混同

 

こういった誤解は、意外に多く、かつ深刻な問題を引き起こすことがある。もう30年近く前、原子力発電に対する住民の信頼形成について調査研究したことがあった。発電会社は、原発の安全対策をどんなにわかりやすく説明しても、反対する住民の態度が一向に変わらないことに頭を痛めていた。

 

調査でわかったのは、住民が不信を抱いているのは、電力会社の安全対策能力ではなく、意図であったことだ。つまり住民は常に「電力会社は嘘をついて住民を丸めこもうとしている」と疑っていた。電力会社は、住民の「能力への不信」を払拭しようと必死だったが、それは的外れで、本来は「意図への不信」の払拭に取り組まねばならなかったのだ。

 

ただし、日本人も意図と能力の区別をつけることがある。例えば、高校野球の球児たちのプレイは、能力面ではプロ野球に及ばないものの、一生懸命プレイしようとする「意図」が感動を呼ぶし、パラリンピックにしても、子供の行うスポーツにしてもそうだ。しかし、区別をするべき状況は、日本では少ないように思う。

 

マレーシア以外での筆者の経験も踏まえると、「意図」と「能力」を、いろいろな状況で区別しておくことは、グローバル化の進んだ現代では、だんだんと重要になっているように思っている。

 

だから、筆者はマレーシアでは、もっとさまざまな場面で「意図」と「能力」の区別をつけようと心がけている。そうすると、レストランでのサービスが多少悪くても、頑張って給仕する意図が見えれば、怒ることはないし、「こうするともっといいサービスができるよ」とアドバイスできる。それがその人の「能力」を伸ばすことに役立てば、その人は将来すばらしい仕事ができるようになるだろう。そのほうが、生産的な人間関係が築けると思っている。

 

このように、意図と能力を区別するのは、日常生活においても意外に重要なことだと、最近特に感じている。

 

 

渡部 幹(わたべ・もとき)
モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授

 

UCLA社会学研究科Ph.Dコース修了。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。現在はニューロビジネスという大脳生理学と経営学の融合プロジェクトのディレクターを務めている。社会心理学を中心として、社会神経科学、行動経済学を横断するような研究を行っている。また2008年に共著で出版した講談社新書『不機嫌な職場』が28万部のヒットとなったことをきっかけに、組織行動論、メンタルヘルス分野にも研究領域を拡げ、企業研修やビジネス講師等も行っている。
代表的な著書に『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(共著、講談社刊)。その他『ソフトローの基礎理論』(有斐閣刊)、『入門・政経経済学方法論』、『フリーライダー あなたの隣のただのり社員』 (共著、講談社)など多数。

 

記事掲載日時:2018年03月20日 19:52