icon-plane インドのシーク寺院で見た「無料食堂」「無料宿泊所」「無料病院」の謎

インドのシーク寺院で見た「無料食堂」「無料宿泊所」「無料病院」の謎

 

異教徒に寛容で、「無料食堂」を開放しているシーク教(シク教)。マレーシア新政権でもシーク教徒の大臣が誕生して話題になりました。モナッシュ大学の渡部先生は、シーク教には日本社会と同じ「強固な結束」があると言います。一方で、日本社会とは違う「異教徒への開放性」のある、開かれたコミュニティで、そこから日本人が学べることは多いと話します。

 

 

研究テーマとして、シークコミュニティの調査をしているが、筆者の疑問は、「いかにして高い結束を誇りつつ、『開かれた』コミュニティを創れるのか」だ。日本社会は「集団主義」という言葉で表現されるように、強固な結びつきと集団規範を持つ。シークコミュニティも同様だ。だが、日本社会と決定的に違うのは、その「開放性」にある。そして、それ故に、外国や異教徒ともビジネスや社会関係を拡げることができている。グローバル化の進む社会にうまく適応できているのだ。

 

異教徒にご飯を振る舞うシーク教の寛容さから学べること

 

一方の日本は、グローバル化の中、苦しんでいる企業が多い。異文化、異価値の人々と接することに慣れていない。筆者は、シーク教の研究を通して、日本が日本文化の良いところを保ちつつ、開放型の社会を持ち得るためにはどうするべきかを考えたいと思っている。

 

そういう背景から、筆者はシーク教の研究を進めているのだが、幸い所属大学から研究補助をいただけたため、先日インドに研究旅行に行ってきた。

 

一日10万食を提供するインドの「無料食堂」

 

向かった先は、シーク教発祥の地、インド北西部のプンジャビ地方である。パキスタンとの国境近くにある都市、アムリトサルはシーク教徒が創った街で、シーク教の聖地、黄金寺院がある。

 

 

黄金寺院の敷地は、一辺数百メートルの長方形。中に、同じ長方形のみそぎのための池(人工池)があり、その真ん中に黄金色に彩られた寺院がある。池の周りの広場は、建物で囲まれており、中には宿泊所、事務管理室、キッチン、食堂、博物館などがある。もちろん入場は無料で、他の寺院と同じ「無料食堂」も併設している。

 

寺院内は荘厳。夜はさまざまな色のライトで照らされ、テーマパークに来ているかのような彩だ。

 

そして、無料食堂だが、ここでは1日に約10万食を提供する。24時間、キッチンと食堂は休むことがない。この様子は、2012年のドキュメンタリー映画、『聖者たちの食卓』で、見ることができる。それによると、一日に必要な食材は、小麦粉2.3トン、薪5トン、牛乳320リットル、豆830kg、米644kg、砂糖360kgなど、膨大な量だ。それらを調達し、貯蔵し、下ごしらえを行い、調理して、給仕し、後片付けを行う。これらすべての行程の大部分はボランティアの信者によって行われる。その数は常時数百人に及ぶ。

 

 

筆者は、地下にある食糧庫を見学することができたが、小規模ながら小麦粉の製粉工場や精米工場まであった。虫やネズミがつきやすい米、砂糖の類は、温度管理された特別な倉庫で管理されており、水も最新の浄水器とフィルターで浄化している。

 

キッチンは筆者が見学したものだけで、5か所あり、豆カレーを専門につくる部署、ミルクティーだけを作る部署、デザートだけを作る部署などに分かれており、それぞれに監督責任者がいて、行程を管理している。

 

寺院には、長方形の敷地の4隅に給水所があり、水を飲むことができる。飲んだ後のカップはボランティアの人々によって、木を燃やした後の灰で洗われる。実はデザートの部署では、調理にはガスではなく、薪を使っており、そのかまどから出た灰を食器洗浄に使っているのだ。水が貴重なインドで発達した知恵である。

 

ちなみに筆者は、インド滞在中、ほとんどの食事を寺院やホームステイ先のシーク教徒の家でいただいたが、お腹の調子が悪くなったことは一度もなかった。黄金寺院に限らず、シーク寺院での水の管理は徹底している。

 

毎日数万人が訪れる寺院の周りには、無料の宿泊所(外国人専用のものもある)、無料の病院まである。これらの運営がすべて、寄付とボランティアで行われており、シーク教徒だけでなく、誰でも無料でその恩恵を受けられるのだ。

 

これだけ見ただけでも、シーク教の愛他的精神がずば抜けていることがわかるだろう。ここまで大規模な組織でありながら、かつ寛容で開かれたコミュニティを筆者はみたことがない。

 

シク教の愛他精神の影の悲惨な歴史

 

だが、彼らの歴史の大部分は「悲惨」と形容して差し支えないものだ。黄金寺院の博物館や、他のシークの博物館では、度重なるイスラム教徒(ムガール帝国)の侵攻に伴う、改宗圧力、拷問、惨殺などの様子が、イラストやオブジェで示されている。当時のシーク教の最高指導者であるグルが生きたままノコギリで二つに切り裂かれたり、グルの子供らが生きたまま壁に埋め込まれたりと、陰惨極まる拷問が行われていた。

 

ヒンズーからの迫害も強く、一時期は、政府が「シーク教徒の首を持ってくれば20ルピーで買い上げる」という法令を出したため、残虐なシーク教徒狩りが行われたこともある。

 

インド独立運動中には、イギリス軍によって、アムリトサルの武装していないシーク教徒400人が虐殺された「アムリトサル事件」も起こった。

 

ここまで迫害を受けても、なお、高い愛他的精神を説き、かつそれを実践していることについて筆者は驚きを禁じえなかった。しかし筆者はそれこそが「開かれたコミュニティ」の謎を解くカギのように思われた。

 

マレーシア新政権でも存在感を示すシーク教徒

 

事実、イスラムの国であるマレーシアで、新政権での商業犯罪調査部(CCID)長官の、ダトゥク・セリ・アマール・シン氏はシーク教徒だし、情報通信・マルチメディア大臣にもシーク教徒のゴビンド・シン・デオ氏が選ばれている。イスラム社会においてシーク教徒は存在感を示している。

 

ロンドンでもシークコミュニティは、無料食をホームレスに振る舞い、その功績が称えられている。彼らの愛他性はかつての敵から賞賛され、かつての敵に登用されるきっかけになっているのだ。

 

凄惨な争いの果てに行きつく愛他性と生命力について、日本人としてまだまだ彼らから学ぶことがあると感じた研究旅行だった。

 

渡部 幹(わたべ・もとき)
モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授

 

UCLA社会学研究科Ph.Dコース修了。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。現在はニューロビジネスという大脳生理学と経営学の融合プロジェクトのディレクターを務めている。社会心理学を中心として、社会神経科学、行動経済学を横断するような研究を行っている。また2008年に共著で出版した講談社新書『不機嫌な職場』が28万部のヒットとなったことをきっかけに、組織行動論、メンタルヘルス分野にも研究領域を拡げ、企業研修やビジネス講師等も行っている。
代表的な著書に『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(共著、講談社刊)。その他『ソフトローの基礎理論』(有斐閣刊)、『入門・政経経済学方法論』、『フリーライダー あなたの隣のただのり社員』 (共著、講談社)など多数。

 

記事掲載日時:2018年05月30日 09:31