icon-plane マレーシア新政府が「革命的」であるこれだけの理由

マレーシア新政府が「革命的」であるこれだけの理由

 


政権交代から一ヶ月弱。閣僚人事も次々に発表されている。この人事には今までのマレーシアとは違う、ある大きな傾向がある。サバ大学の大石さんは、「これはマレーシア版のピープルパワー革命」である、と言う。一体どういうことか。まるで映画のような劇的なストーリーがあった。

 

今回の新政権誕生は、マレーシア版「ピープルパワー革命*」である。現状変革を求める大勢の一般民衆の思いが「マレーシア津波」となり、旧政権を打倒したからだ。これは、単に権力者集団としての政府が入れ替わったのではない。従来のピラミッド型の支配構造自体もひっくり返されたことを意味する。

 

*元祖ピープルパワー革命とは、フィリピンの人々が1986年2月に当時のマルコス独裁政権を打倒しアキノ政権を誕生させたことを言う。

 

今回のピープルパワー革命の源流は、1987年10月の「オペレーション・ララン」(草取り作戦)まで遡る。当時のマハティール政権が百人を超える与野党の政治家、社会活動家、知識人たちを国内治安法により逮捕・拘禁した事件だ。

 

かつての抵抗者たちが新政権に貢献

 

当時マレーシアは「開発独裁」と呼ばれる政治体制だった。「開発独裁」とは途上国が経済開発に邁進する中で、矛盾や人々の不満を力で抑え込む政治体制のこと。マレーシアでも、開発独裁で生じるさまざまな社会的問題が発生。野党各党と市民社会諸団体が、開発の犠牲者や悪影響を被った人たちのため、活動していたことがあった。

 

オペレーション・ラランがきっかけで、国内治安法の廃止を目指し、拘禁者たちを支援する「マレーシア人民の声」(スアラム)などの人権NGOが立ち上がり、マレーシア国内の社会運動ネットワークに加わった。一方、拘留所は拘禁者たちの「政治大学」として、つまり政治家としての訓練の場としても機能するようになった。こうして、民族の垣根を越えての連帯意識も育っていった。

 

「オペレーション・ララン」を身近に経験し、その後も引き続き開発独裁体制に対し抵抗運動を続けてきた人々が、今回のマレーシア津波による政権交代に大きく貢献することになった。

 

野党と人民が共闘した黄シャツ運動「ベルセー」

 

もう一つ忘れてならないのに、ナジブ政権の腐敗と汚職に反対し、クリーンな国政選挙を求めて起こった黄シャツ運動「ベルセー」の存在がある。2013年の総選挙ではマレーシア華人たちの与党離れが「華人津波」と呼ばれ、ナジブ政権は大きく揺らいだ。しかし選挙において様々な疑わしい方法が駆使されたことで、何とか政権は維持できた。

 

しかし、政府系ファンド「1MDB」に関する汚職スキャンダルが2015年に発覚すると、その年と翌年、政府の事前の警告にも関わらず、首都クアラルンプールの中心部をベルセー運動の参加者たちの黄色のTシャツが埋め尽くした。今回、新政権の連立与党を形成した各党も、この運動に各種市民団体とともに参加。この運動は政権交代のための事実上の舞台装置となった 。

 

ベルセー運動のこの2年連続の大集会の参加者の多くは華人とインド人、それに都市部に居住するマレー人であり、これらの人々の反政府的なスタンスが明らかになった。残るのは、地方の農村部において圧倒的な多数派を占めるマレー人の帰趨だった。ベルセー運動に結集したと言っても、マレーシアの少数派である華人やインド人では倒閣運動を先導できないことは、これらの人々自身が認めていた。

 

民族に関係ない「マレーシア人」の意識をもつ人々

 

そこへ、2015年の1MDB問題の露呈以来、明確に反ナジブに転じたマハティール氏が政治の場に復帰した。同氏が新たに創設した統一プリブミ党がこれら地方のマレー人の間に浸透。今回の選挙で「マレー津波」が起こり、さらにマレーシア津波となった。つまりマレーシア津波は、これまでの華人津波に野党各党と市民社会が合流し、これにマハティール氏が引き起こしたマレー津波がさらに加わったことで生まれたとみなすことができよう。

 

希望連盟による新政権と、国民戦線による旧政権との違いは明らかだ。国民戦線の諸政党は、各民族のエリートによる政党としての性格をもつ。草の根レベルでの政党支部を通じ、民族ごとの民意を吸い上げていた。しかし61年という長期政権による制度疲労、さらに9年間のナジブ政権による失政と腐敗で、利益分配メカニズムが機能不全に陥っていたと思われる。

 

これに対し、希望連盟政権は、 自分たちをマレー人、華人、インド人としてよりもマレーシア人として見る人々のための政府であろうとする。つまり、民族に関係なく、労働者・勤労者と女性、さらにこれまで開発政策の犠牲者とされて来た人々(先住民、無国籍の人々など各種マイノリティ集団)の利益の代表たらんとしている。

 

多民族政党で社会民主主義を掲げる労働者の党を標榜する民主行動党がそれに当たる。またマレーシア人民党と合併した同じく多民族政党の人民正義党もそうだ。また、統一プリブミ党と、リベラル穏健派がイスラム党から分離して作った国民信頼党は、草の根のマレー人を支持母体とする。これらの政党と市民社会の諸団体との連携が、この傾向をさらに後押しする。

 

かつて社会問題に取り組んで来た人々が閣僚に

 

こうして新政権では、労働者問題、とりわけ伝統的にゴム園や油ヤシ農園などプランテーションで就労してきたインド人コミュティの問題に取り組んできた弁護士が労働大臣となった。さらに人権と社会正義、言論表現の自由を訴える別の弁護士がメディア担当大臣に、抑圧的傾向を強める前政権下で大学の教員をしていた学者が教育大臣となった。また希望連盟から出馬して当選した25歳の学生運動の指導者は、青少年スポーツ担当大臣に任命されるのではとみなされている。

 

さらに、ベルセー運動の集会を成功させた女性議長は、希望同盟の中の無所属候補として連邦下院議員に当選。前任の女性議長も、マハティール首相により召集された「賢人会議」の下の「制度改革委員会」の委員に任命された。また、一貫して政府批判の急先鋒だったNGOスアラムの女性代表者も、賢人会議が組織したもう一つの委員会「1MDB調査委員会」にメンバーとして参加している。これらに加え、希望連盟の事実上のリーダーであるアンワル・イブラヒム氏は、これまで政府の宣伝機関としての役割が強かったマレーシアの主流メディア各社に対し、「政府の批判者たれ」とハッパをかけている

 

つまり、マレーシアで長年続いた開発独裁体制のもと、抵抗を続けて来た市民社会の人々が、希望連盟政府に入ったのだ。政府外の同志たちと連携を取り、平和的に秩序正しくこのピープルパワー革命を推進していると言える。しかも、極めて興味深いことに、かの開発独裁体制を築いた当の本人であるマハティール氏が、この革命政権のいわば暫定首班として、アンワル氏を始めとするかつての政敵たちと協働していることである。旧体制の制度設計者が、今や革命勢力と一緒になって新体制を構築する仕事に取り掛かっている。

 

それは旧体制の疲弊した様々な仕組みを取り除き、人々の利益に奉仕する新たな仕組みに置き換えるという大きな課題だ。マハティール氏の存在がこの革命に伴う痛みを最小限に抑え、また安定感を与えている。このように幸せで祝福された革命は人類の歴史上なかったのではないだろうか。

 

(プロフィル)おおいし・みきお
1990年代初頭から、マレーシア、ニュージーランド、ブルネイを拠点に主に東南アジアの紛争解決のための研究と教育と実践を行う。英国ブラッドフォード大学平和学博士。現在、マレーシア・サバ大学准教授。

記事掲載日時:2018年06月11日 00:17