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「名誉の文化」とはなにか

 

日本から来た人からは、「海外の人たちは怒るとすぐにやめてしまう」という声をよく聞きます。これは「名誉の文化」というものと関係あると渡部先生は話します。どういうことでしょうか。

 

マレーシアでマレーシア人と働いている日本人から聞く話だが、マレーシア人、特にマレー系マレー人は「自分の非を(日本人と比べて)認めたがらない」、「怒られると、すぐに辞めてしまう」といった事例を多く聞く。筆者の経験でもそうで、もちろん全員がそうというわけではないが、非を認めない(謝らない)人は多いように思える。

 

先日、筆者の友人が3人でレストランに行ったときのことだ。そこは注文の際に、メニューに記してある番号を紙にかいて渡すシステムになっており、友人は1番のメニューを選び書いた。

 

だが、しばらくして、やってきた品は、注文とは違うものだった。見るとそれは11番のメニューで、1番ではない。友人は、注文をとった店員が打ち間違えたのだろうと思い、その店員に「私が頼んだのは11番ではなく、1番です」といった。

 

担当の店員はマレー系の男性だったという。その男性は「いや、あなたは11番を頼んだ」と返してきた。さらに「1番が欲しいならば、新たに注文しなおしてくれ」と言ってきた。

 

理不尽に感じた友人は、ならば、と実際に注文で書いた注文書がテーブルに伝票と一緒に置いてあったので、それを彼に見せ「ここに1番と書いてあります。11番ではありません」といった。事実、側にいた友人たちが見ても、それは「1」にしか見えないものだった。

 

ところが、その男性店員は「いや、それはあなたの書き方が悪い。『1番』という書き方はダメで『01番』と書かなくてはいけない。これはあなたのミスだ」と言い張った。これは、開き直りだ、と思った友人は、一歩も引かないことにした。彼の言い訳は、もう言い訳レベルを通り越して、いちゃもんレベルだと思った。1番を注文しなおしたところで、日本円では数百円の話だが、金額が問題ではない。接客業ならば、自分の非を認め、サービス仕直すのがワーカーとしての務めだろう。友人はそう思っていた。

 

しばらく押し問答を続けていたところ、異変を察した上司がやってきた。事の経緯を知り、伝票を見てすぐに
「すみません、すみません。これは我々のミスです。すぐ取り替えますね」
と笑顔でいい、さっさと処理してしまった。その上司は中華系だったそうだ。

 

 ところがその男性は、その後も「もう、客がまともに注文しないものだから、大変だよこちらは」などと、まだ愚痴を言っていた。

 

友人は腹が立ったというよりも、不思議だったという。なぜ彼はああまで、自分の非を認めないのか。それが疑問だった。たぶん、間違えたからといって、彼の給料から減らされるわけではないように思えたし、客のせいにして不快にさせて、後からクレームを言われるより、上司がやったようにさっさと取り換えてしまった方がよいのではないかと、日本人としてはそう思ってしまったそうだ。

 

名誉を汚されると殺人すら起きる

 

こういった行動傾向について、社会心理学に面白い研究がある。イリノイ大学のドヴ・コーエンが、ミシガン大学のリチャード・ニスベットと行った「名誉の文化」の研究だ。

 

彼らは、上記にあったような「強情」「自分の非を認めない」といった傾向が、アメリカの南部出身者に多いことを見出した。アメリカはおおざっぱに東海岸、西海岸、中西部、中東部、南部に分かれ、テキサス州やミシシッピ州などが主な南部の州である。

 

統計によると、南部の州では「名誉を汚された」という理由による殺人件数が、他の地域くらべて極端に高いことがわかっている。この場合の「名誉を汚された」というのは、平たく言えば「自分の無能さを指摘された」「馬鹿にされた」など、正しいか正しくないかに関わらず「自分のプライドが傷つけられた」ことを意味する。

 

彼らは上記のような統計データの分析だけではなく、実際に実験でもそれを証明してみせた。別の実験の体を装って、参加した被験者が実験室に向かう途中の廊下で、他人に扮したサクラが、わざと被験者にぶつかり、その後ひどい罵倒をして去っていくということをするのだ。その後被験者はすぐに、唾液を採取され、その中にある男性ホルモンの一種「テストステロン」の濃度をチェックされる。このホルモンは、攻撃ホルモンとも呼ばれ、アドレナリン分泌が高まり、怒りを感じているときに分泌される。

 

コーエンらは、あらかじめ被験者に出身地を尋ねており、このテストステロンの濃度が、出身地によってどのように違うかを確かめた。結果は予想通り、南部出身の被験者の方が、他の地域出身者よりも、高いテストステロン値を示した。

 

つまり、このように「名誉を汚されるとキレる」という傾向は、地域や文化によって異なるということが示されたのだ。では、なぜ、南部出身者はキレやすいのだろうか?

 

コーエンらの説明はこうだ。アメリカ南部は、伝統的に家畜文化である。広いアメリカで家畜を飼うことは、実は盗賊による家畜泥棒のリスクが大きい。特に開拓時代には、家畜泥棒が横行した。家畜泥棒は、大抵、夜に家畜を盗み、家畜を誘導して、去ってしまう。気が付いたときには、どこに行ったか分からないのが常だ。仮に盗みに気づいたとしても、家畜泥棒は大抵武装集団で、畜産家たちは太刀打ちできない。その上、昔のアメリカでは警察も、当てにできない。

 

合理的に考えるのならば、気づかないにせよ、気づくにせよ、畜産家たちは泣き寝入りするしかない。遠くまで逃げてしまった泥棒を追いかけるには多大なコストがかかるし、泥棒に立ち向かえば、命のリスクがある。でも泣き寝入りしてしまっては、泥棒たちの思うつぼである。

 

だが、もしここで、馬鹿にされたことにキレて、コストも命の危険も省みず、泥棒を追いかけていくような性格の畜産家がいたらどうだろう。「あいつは何するかわからない、ヤベー奴」と思われて、盗賊たちは盗むのを躊躇するだろう。そういう環境のもとでは、一見非合理的に見える「名誉を汚されるとキレる」という行動が、家畜泥棒を防ぐのに役立つのである。

 

知っておいた方がいい「名誉の文化」心理

 

そして、筆者はこのことは、民族間の戦いや、植民地紛争などがあった地域でも当てはまると思っている。つまり、太刀打ちできない相手に対しても「命の危険を省みずキレる」という「名誉の文化」の心理が有効に働くことが多いのだと分析する。

 

実は、同様に、フィリピン人やインド人も「自分の非を認めない」「謝らない」と言われる。これらの地域は、欧米の植民地として、長いコンフリクトを経てきた場所である。マレーシアもまたそうだ。

 

ただ、このグローバル化が進んだ今日、冒頭の例のように、そういった心理は却って問題を引き起こすことが多い。自分の非はさっさと認め、2度とそういうことをしないように学習することの方が、ずっと生産的だ。

 

しかしながら、一度できた文化を変えるのは簡単ではない。我々にできることは、そういう人に折れないで、かつ辛抱強く諭すことしかない。これは、日本では経験しにくいことだが、実は上記のようにこういう傾向の人のいる国の方が世界で多いかもしれないのだ。これもひとつの経験として、付き合うことは、決して無駄ではないと筆者は考えている。

 

 

渡部 幹(わたべ・もとき)
モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授

 

UCLA社会学研究科Ph.Dコース修了。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。現在はニューロビジネスという大脳生理学と経営学の融合プロジェクトのディレクターを務めている。社会心理学を中心として、社会神経科学、行動経済学を横断するような研究を行っている。また2008年に共著で出版した講談社新書『不機嫌な職場』が28万部のヒットとなったことをきっかけに、組織行動論、メンタルヘルス分野にも研究領域を拡げ、企業研修やビジネス講師等も行っている。
代表的な著書に『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(共著、講談社刊)。その他『ソフトローの基礎理論』(有斐閣刊)、『入門・政経経済学方法論』、『フリーライダー あなたの隣のただのり社員』 (共著、講談社)など多数。

 

記事掲載日時:2018年08月23日 00:03