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ライバルを日本ではなく世界におこう

 

「人は自分と他者を比較するが、自分を傷つけないように比較のしかたを変える」という理論がある。例えば、サッカー少年にとって、メッシやクリスティアーノ・ロナウドは憧れの対象だが、同じプレイヤーとしての比較対象にはならない。ところが、比較対象をいきなり世界最高に持って行くことで、モチベーションのレベルが上がってくるという。どういうことだろうか。

 

先日、サッカーW杯後、初めて日本代表チームが、コスタリカ代表チームと親善試合を行った。
森保新監督の「新生日本代表」にとっての初陣だった。大きくメンバーを入れ替え、結果は3-0の快勝だった。コスタリカも若手中心の急造チームで、日本側の方が有利ではあったが、それを差し引いても、スコア以上の希望を持てた試合だったと多くのメディアが述べている。筆者もそう感じた。

 

特に、これまであまり活躍してこなかった選手たちの躍動には、感動した。特に、前線の3人、中島、南野、堂安選手の創造性とスピード溢れる攻撃は刺激的だった。3人共、すでにヨーロッパの中堅リーグで活躍しており、プレーにも意欲と自信が伺えた。筆者と同じ感想だった人も少なくないようだ。スポーツ雑誌やネット記事には彼ら3人をフィーチャーした記事が多く載るようになった。

 

その中で、現在オランダリーグで活躍する堂安選手のインタビュー記事が目を引いた。U-15の頃から日本代表に選ばれ、ガンバ大阪のユースでも中心選手だった堂安選手は、2017年にオランダリーグのフローニンゲンに移籍した。1年で頭角を現し、いまではチームの中心選手の一人だ。

 

インタビューで、世界最高峰の選手を目指すと堂々と言う選手

 

目を引いたのが、彼のインタビューだ。
インタビューで彼は、「憧れの選手はメッシ」と語っていた。その彼が最近衝撃を受けたのが、フランス代表の新鋭、キリアン・ムバッペ選手だという。

 

フランスの強豪、パリ・サンジェルマンに所属するムバッペは、まだ19歳。堂安選手とほぼ同い年だ。彼が世界に名を知らしめたのは、先日のW杯の決勝トーナメント1回戦、アルゼンチンとフランスの一戦だった。世界的スーパースター、メッシを擁するアルゼンチンは、前回大会準優勝の強豪だ。だが、この試合のスーパースターの座は、ムバッペが奪ってしまった。

 

100m10秒台と言われるスピードと、すばやいテクニックを武器に、先制点につながるPKを取り、その後追いつかれるも、自ら2得点を上げて、アルゼンチンを粉砕した。気の早いメディアは、メッシからムバッペへと「世界のスーパースターが交代した」と書きたてた。

 

筆者もこの試合を観ていたが、確かに彼のプレーは衝撃的だった。そして、同じサッカープレイヤーとして、彼のことを観ていた堂安選手の受けた衝撃は筆者の比ではなかったはずだ。

 

「ムバッペの活躍をみて、俺は何しているんだと思った」

 

と堂安選手は思ったという。同じヨーロッパのリーグでプレーする同じ世代のサッカー選手として、本当に衝撃を受けている。そして「彼を引きずりおろしたい」とインタビューで語るまでになっている。

 

堂安選手のこの態度を、筆者はとても頼もしく思っている。それは彼が自分の比較対象を「同世代の世界最高選手」に置いているからだ。

 

人は自分を傷つけないように他人と比較する

 

社会心理学の用語で「社会的比較理論」というものがある。1950年代に提唱された古典的理論だ。細かいことは省略するが、この理論のコアは「人は自分と他者を比較するが、自分を傷つけないように比較のしかたを変える」というものだ。

 

例えば、今サッカーを始めた少年は、同じチームの誰かが比較対象となり「ライバル」になるだろう。彼と自分を比較して、自分のほうがうまくなるにはどうするかを考える。その少年にとって、メッシやクリスティアーノ・ロナウドは憧れの対象だが、同じプレイヤーとしての比較対象にはならない。

 

そして少年がどんどん上手くなっていくにつれ、比較対象は変わってくる。これは仕事でも他のことでも同じだ。自分のことをかっこいいと思っている男も、大抵は雑誌に出てくるモデルや芸能人と、自分を比較したりはしない。もっと身近な誰かと比べて「自分はかっこいい」と自己評価をするのだ。

 

この背後にあるのは、「自分のアイディンティティを脅かすような相手との比較は避ける」という自己防衛だ。そのために、人はいろいろな「言い訳」をする。

 

サッカー少年の例で言えば「まだ自分は幼いし」「サッカー経験も浅いし」であり、自分がかっこいいと思っている男性でいえば「俺は一般人でしかないし」「ルックスで勝負する仕事についていないし」といった言い訳だ。

 

そのこと自体悪いことではなく、ごく自然なことだ。人は成長するにつれ、比較対象を変えて、その都度自己認識を改めたり、努力をしたりもする。

 

筆者が堂安選手に感銘を受けたのは、彼の社会的比較対象がすでに「世界最高峰」だからだ。そして彼のいるヨーロッパリーグはそういった比較を当たり前に行う環境だ。異文化や世界に出ることで、自分の社会的比較の対象を広げ、より高みを目指すようになっている。このことが頼もしいのだ。

 

異文化に行くことで、比較対象のレベルが上がる

 

社会的比較の対象は、環境が変われば変わる。海外や異文化に行くと、当然変わる。大学時代は英語で論文を書くなんて一生に一度できるかな、などと思っていた筆者も、アメリカに留学したのをきっかけに、日本語で論文を書くなんてもったいない、英語論文のほうが圧倒的に読者数が多いのだから、と英語で論文を発表している同僚をみて考えを変えた。

 

同じようにマレーシアで暮らす私達も、日本では持つことが難しい、よりレベルの高い社会的比較ができるはずだ。例えば筆者の場合、英語と日本語しかできないのは、大したことない。3カ国語以上話せるのなんて、普通のことだ、と思うようになった。とはいえ、現実にはマレー語も中国語もおぼつかないのだが。

 

しかし、少なくとも、中国語を少しでも上達したいというモチベーションは大いに高まった。こういったことは、マレーシア人を社会的比較の対象としなかったら、持ち得なかったモチベーションだろうと思う。

 

異文化に暮らすことで、自分をより高めるような社会的比較を、皆さんも探してみてはどうだろうか。

 

 

渡部 幹(わたべ・もとき)
モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授

 

UCLA社会学研究科Ph.Dコース修了。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。現在はニューロビジネスという大脳生理学と経営学の融合プロジェクトのディレクターを務めている。社会心理学を中心として、社会神経科学、行動経済学を横断するような研究を行っている。また2008年に共著で出版した講談社新書『不機嫌な職場』が28万部のヒットとなったことをきっかけに、組織行動論、メンタルヘルス分野にも研究領域を拡げ、企業研修やビジネス講師等も行っている。
代表的な著書に『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(共著、講談社刊)。その他『ソフトローの基礎理論』(有斐閣刊)、『入門・政経経済学方法論』、『フリーライダー あなたの隣のただのり社員』 (共著、講談社)など多数。

 

記事掲載日時:2018年09月18日 20:41