icon-plane 第31回 東南アジアがASEAN共同体に到るまで その2

第31回 東南アジアがASEAN共同体に到るまで その2

 

前回は東南アジアが形成されるまでの歴史をみてきました。今回は引き続き、ASEAN設立と共同体の創設までを考えてみたいと思います。

 

ASEANの設立で地域が決定

 

前回、東南アジアの地域の概念は、戦後になっても一貫していなかったことをお伝えしました。

 

ASEANは1967年にインドネシア、シンガポール、タイ、マレーシア、フィリピンの5カ国で設立されました。1980年代以降、ブルネイをはじめ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアと現在は10カ国に加盟国を拡大しました。最初の加盟国5カ国が、少なくとも現在の10カ国を「東南アジア地域の諸国」とみなしていたためです。

 

また、創設当時、マレーシアなどはスリランカの加盟を求めていました。スリランカはだいぶ経ってから加盟を断わりましたが、加盟国5カ国はスリランカも東南アジアの一部として見ていました。

 

ASEANは設立当初、あまり活発ではなかったのですが、1970年以降に積極的な動きを見せました。ベトナム戦争の影響が大きくなったからです。ベトナムやカンボジア、ラオスが共産主義国家となっていく中で、シンガポールのリー・クアン・ユー首相(当時)は「ベトナムは東南アジアの国ではない」と明言していました。文化的に中国に近く、「東アジアの一部だ」と述べていたのです。ベトナムが現在ASEANに加盟しているところをみると面白い発言です。

 

ASEAN加盟を断られた国々

 

70年代以降にはパキスタン、台湾、バングラデシュ、パプア・ニューギニアといった国々がASEAN加盟を申請してきましたが、それぞれ却下されています。パキスタンや台湾はインドや中国との関係も配慮して断っています。1971年に独立したバングラデシュについては申請直後にマレーシアのイスマイル副首相が「バングラデシュは東南アジアではない」と明確に述べましたが、理由については語っていません。また、パプアニューギニアについてもASEAN加盟国のなかで東南アジア地域の一国としてのコンセンサスがなく、こちらも却下されています。

 

一方で、1975年にインドネシアに占領され、2002年に独立した東ティモールもASEANに申請しています。こちらについてASEAN現在の加盟10カ国は検討中のようで、加盟に反対はしていません。インドネシアの一部だった歴史があり、地理的な位置から却下できないと思われますが、経済的な理由から受け入れをためらっているようです。

 

つまり、ASEANの設立国であった5カ国が東南アジア地域の概念を作り上げていったのです。設立前までは学者の間でも概念がバラバラでしたが、地域の諸国が自ら地域を定義してきたといってもいいでしょう。加盟国のなかでもマレーシア政府が地域の概念設定に積極的だったことが要人の節々の発言のなかから伺えます。

 

東南アジアのアイデンティティーに向けて

 

そもそもASEANはヨーロッパの地域機構を真似たものでした。
第二次大戦後、戦争に疲弊したヨーロッパ諸国は将来の戦争を回避し、ヨーロッパ経済に寄与するため、1951年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を設立しました。最初は国家間の共同体でしたが、後に欧州経済共同体に発展しました。これらがASEANのモデルになったのです。

 

第二次世界大戦後の東南アジアでは、インドシナ半島で政治的な不安定が続き、60年代にはベトナム戦争も本格化していきました。そんななか、ASEAN原加盟国5カ国は、地域全体の共産化と戦争に巻き込まれることを最も警戒していました。ASEANはもともと経済と文化社会協力が主たる目的でしたが、こういった状況のなかで、「反共産国家による地域組織」とも言われていました。

 

しかし、少なくとも70年代前半からは、「ASEAN共同体の創設」を目的にしたようです。これは外相会談の共同声明などから読み取ることができます。この頃からヨーロッパでのヨーロッパ人としてのアイデンティティーと同じような「東南アジア人」の創出を、各政府首脳らが目指していたのかもしれません。

 

欧米により造られた地域「東南アジア」を土台にしつつも、各国政府はASEANという言葉をまずは国民の間で浸透させていくようにしています。

 

ASEANは英語でのAssociation of South East Asia Nations(注)の略です。しかしASEANという言葉は、インドネシア語やマレー語でも設立当初から新聞などでそのまま使われていました。1967年の設立当初は新聞記者がわざわざ翻訳し、その略語を発明したにもかかわらずです。また、フィリピンやタイでも同様のことが起こり、各国の新聞を読む層の間では設立からASEANという言葉自体が浸透していったのです。これはおそらくASEAN各国が意図的に行ったのではないでしょうか。

 

その後、1990年代にはミャンマーやインドシナ半島諸国がASEANに加盟し、設立国5カ国の定義どおりの東南アジアがすべて揃い、現在の東南アジアの形ができました。現在は域内外で東南アジア=ASEANとの認識が広まっています。また、「ASEAN共同体」設立の提案は、マハティール氏が提起した1997年の「ASEANヴィジョン2020」でなされましたが、実はASEAN共同体の文言自体は70年代に声明文などに出てきており、まったく新しい言葉ではありませんでした。

 

かくして東南アジアはヨーロッパのようなアイデンティティーを確立できるのでしょうか。ヨーロッパの人々はどこか心のなかで「ヨーロッパ人」という意識があるように思えますが、果たして文化・宗教・言葉・歴史などほとんど各国が共通点をもたない東南アジア諸国の人々が地域意識を共有できるのでしょうか。マレーシアの大手銀行CIMBや格安航空エアアジアなどのビジネス展開をみているとどうもそういった意識の共有が深まりつつあるように思えます。

 

伊藤充臣■在馬歴13年目。マラヤ大学人文社会学科歴史学科で修士と博士号を10年がかりで取得。趣味は読書と語学。専門の東南アジアを極めるため、最近ではクメール語に注力している。

 

(注)設立時はこの綴でしたが、70年代以降にAssociation of Southeast Asia Nationsとの綴となりました。

記事掲載日時:2018年12月19日 07:52