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マレーシアで芸術を学ぶのが難しい理由

 

マレーシアにはヨーロッパや日本のように多くの芸術大学が存在していません。渡部先生は米国とマレーシアは伝統が少なく多文化を受け入れる点で似ているのではと指摘しています。

 

先日、パレスチナ人とスイス人のご夫妻の年末のパーティに招かれ、家族ともども楽しいひと時を過ごさせてもらった。

 

パレスチナ人の旦那さんは美術論、芸術論の先生で、現在はマレーシアで教えている。これまで上海、大阪、パリでも教えたことがあるという。もちろん出身地である中東でも教えている。

 

パレスチナ出身というとすぐにイスラム教をイメージしてしまうが、彼の家族はずっとクリスチャンだ。
「世の中で思われているほど、あの地域はイスラム一辺倒ではないし、歴史的にイスラム教とキリスト教が共存してきた地域なんだよ。イスラムモスクのデザインなんか、ずっとキリスト教徒が手掛けていたんだ」
などという興味深い話が聞けた。

 

芸術を教えるのにマレーシアは適さない!?

 

そんな彼は、
「少なくとも芸術を教えるという点では、マレーシアは良いところではない」
と語った。理由を問うと、カギとなるのは言語と文化だという。

 

彼が教えているマレーシア人学生はみな芸術の勉強をしている。なかには英語が不得意でマレー語しかわからない人もいるそうだ。「どんな芸術にも背景には哲学や思想があるのだが、英語ができないとそれらを理解しにくい」という。

 

マレー語やインドネシア語の成り立ちには諸説あるが、海洋貿易を行う者たちによって主に使用されていたという。経済的交換を行うための実務的な言語だったと言っていいだろう。

 

一方、中国語や日本語は漢字を多用し、東洋独自の思想や哲学を表現するという伝統を育んできた。欧州でも、英語を含むラテン語由来の言語はみな兄弟のようなもので、その中で思想哲学を育んできた。

 

そのため、西洋哲学が日本に入ってきたときも、日本人学者は漢語の知識を駆使し、対応する日本語を編み出し、概念の精緻化を図った。そのため、西洋の哲学や文化を表現する点で、東洋で最も優れた国になったと言っていいだろう。

 

だが、もともと実務的言語であるマレー語には、思想哲学を表す概念そのものがない。また音韻ベースの言語ため、言葉に意味を込めることが難しい。
そのため、マレー語で何かを習っても、概念そのものを理解することが難しいのだという。

 

英語を習っているとそれは少し解消されるが、まだ文化の壁がある。彼が大阪や上海で教えていたとき、英語のできる学生は少なかった。だが例えば、建築美術について取材レポートを書かせると(英語はダメだが)素晴らしい内容のものを出している学生がいるという。

 

中国や日本には、もともと独自に発展した思想哲学や芸術があり、それが文化の中に根付いているため、芸術―哲学を体験的に理解できているからだ。

 

一方マレーシアで発明発展した建築美術は多くない。残されている歴史的建造物はほぼ他文化からの輸入で、独自のものは少ないそうだ。「それ故、マレーシア人にいる限りは深い芸術理解が難しくなる」のだそうだ。

 

伝統的思想と多様性は両立するのか

 

その話を聞いて感じたのは。マレーシアは、ある意味昔のアメリカに似ているという点だ。アメリカに住んでいるときに、アメリカ人は「歴史を積み上げる」ことにかなり執着しているように感じた。地域にせよ、大学にせよ、そこで何か成し遂げた人の名前を冠して、建物や道路を創ったり、財団を発足させたり、欧州に追いつくためになんとか「歴史」を創ろうとしているように筆者には見えた。

 

マレーシアは、植民地時代が長かったという歴史的経緯もあるため、独自の歴史形成の機運を持つこともできなかったのだろう。

 

しかし、だからこそ、多種多様な人々を受け入れる素地もできているのだと筆者は思っている。アメリカやマレーシアは、さまざまなものの背景にある伝統的思想やイデオロギーというものが少ない。それが故に社会はより開放的になる。

 

日本、中国、欧州の伝統的な国では、そこの国に「馴染む」には相当な苦労が必要となるだろう。少なくともビジネスや日常生活の面では、アメリカやマレーシアのような「浅い」国の方が物事が楽に運ぶように筆者には思えるのだ。

 

その代り、芸術や美術が発達できないのは、上記の通りだ。以前、友人の日本人の女性が、「マレーシアには良い美術館や博物館がない。子供たちに本物を見せる機会がない」と話していたのを思い出した。

 

マレーシアに住む日本人として、我々は恵まれている。マレーシアの持つ、多様性を容認する社会と、日本の持つ閉鎖的だが、芸術思想伝統が根付いた社会の両方を知ることができているのだから。それらの機会をより活かせるようにするのが、より充実した人生に必要な気がしている。

 

 

渡部 幹(わたべ・もとき)
モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授

 

UCLA社会学研究科Ph.Dコース修了。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。現在はニューロビジネスという大脳生理学と経営学の融合プロジェクトのディレクターを務めている。社会心理学を中心として、社会神経科学、行動経済学を横断するような研究を行っている。また2008年に共著で出版した講談社新書『不機嫌な職場』が28万部のヒットとなったことをきっかけに、組織行動論、メンタルヘルス分野にも研究領域を拡げ、企業研修やビジネス講師等も行っている。
代表的な著書に『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(共著、講談社刊)。その他『ソフトローの基礎理論』(有斐閣刊)、『入門・政経経済学方法論』、『フリーライダー あなたの隣のただのり社員』 (共著、講談社)など多数。

 

記事掲載日時:2019年01月03日 16:32