icon-plane 第42回 東京オリンピックでマレーシアは金メダル獲得なるか?

第42回 東京オリンピックでマレーシアは金メダル獲得なるか?

 

バトミントン選手のリー・チョンウェイ(36)さんが6月13日、引退を発表してしまいました。彼は次回の東京オリンピックでマレーシア初の金メダルを期待されていました。多くの国民が残念がるなか、果たしてマレーシア出身のスポーツ選手は金メダルを取れるのでしょうか。今回は国際競技大会でのマレーシアの実績を追ってみます。

 

独立前から国際大会には出場していた

 

独立前のマラヤ連邦下。国際競技大会にマレー半島生まれの選手が初めて出場したのは1949年12月、バトミントンのトーマスカップでした。イギリスの植民地のもとでの出場で、参加した選手8人は全員華人。試合はイギリスで行われ、マレー半島から船で3週間かけてロンドン入りし、厳しい寒さのなかで戦ったのです。

 

ダブルスのセミ・ファイナルでマラヤの選手はアメリカを破り、ファイナルでデンマークに8対1で圧勝しました。初出場にもかかわらず、国際大会でいきなり優勝を果たしたのです。ただ、この第1回トーマスカップの参加国はアメリカ、デンマークとマラヤの3カ国のみ。ほかの国はあまりバドミントンに力を入れていなかったのですが、それでもアジア人が欧米の選手を相手に戦い、優勝したことは当時の新聞を賑わせました。これ以降、マレー半島ではバドミントンに人気が集まっていったのです。

 

1950年にはニュージーランドで大英帝国競技大会(コモンウェルスゲームズの前身)が開かれました。大英帝国内の12地域の選手が参加。マラヤ連邦が出場した競技種目は重量挙げ。バンタム級とフェザー級で金、軽量級で銀、ライトヘビー級を銅をそれぞれ獲得したのです。ここでも選手は華人でした。

 

オリンピックへの初出場

 

1953年にはマラヤ連邦はオリンピック評議会を結成しました。翌年に国際オリンピック委員会から正式な承認を受け、1956年にはオーストラリア・メルボルンで開かれた夏季オリンピックに総勢32人が5種目(陸上、ホッケー、射撃、水泳、重量挙げ)で初参加しました。

 

選手のほとんどが華人でしたが、マレー人が2人、インド人も2人出場。ホッケーチームも民族混合のチームとなりました。しかし、各国の選手はみな強く、マラヤ連邦チームはこのときはメダル獲得には及びませんでした。
 

 

オリンピックに向けて政府が予算を振り分ける

 

マラヤ連邦は1957年に独立しました。これにより、連邦政府はスポーツ関連事業に力を入れていきます。

 

クアラルンプール市内のスタジアム・ムルデカは独立前日の1957年8月30日にオープン。独立当日は1万人を超える人が入りました。このスタジアムは、選手の育成場所となり、また多くの競技大会も実施されました。

 

1959年には東南アジア競技大会(SEA Games)が始まります。マラヤ連邦は毎回出場し、金から銅まで万遍なくメダルを獲得していきました。こうして、マラヤ連邦の選手は国際的な競技でも実力をつけていったのです。

 

そして、1960年に独立後初めてオリンピック(イタリア・ローマ開催)に参加。陸上、射撃、水泳、重量挙げの4種目に出場しました。この時はわずか16歳のインド系陸上選手に注目が集まりました。ただ、初のオリンピックではメダルを獲得できませんでした。

 

政府はオリンピックに本腰を入れ、東京オリンピックがあった1964年に文化・青少年・スポーツ省を創設し、選手育成などに予算を振り分けていきました。

 

東京オリンピックでは、10種目(陸上、ボクシング、サイクリング、フェンシング、ホッケー、柔道、射撃、水泳、重量挙げ、レシュリング)の66人の選手が出場。マレーシア連邦(1963年に結成)の選手として参加します。

 

1980年のモスクワ・オリンピックはソビエトのアフガン侵攻に抗議して参加をボイコットしますが、それ以外はマレーシアはオリンピックに参加していきます。しかしながら、メダルを取ることはできずにいたのです。

 

初メダルはバドミントンだった

 

そして、1992年にマレーシアにとってメダルを獲得できるチャンスが訪れます。それはバルセロナ・オリンピックからバトミントンが正式種目として認められたためでした。

 

このオリンピックではマレー人のシデク兄弟がバトミントン・ダブルスで銅メダルを獲得。世界にマレーシアのバドミントンの強さを見せつけました。マレーシアにとってオリンピックで初めて取れたメダルだったため、国民が大いに喜びました。ちなみに、シングルでは男女ともインドネシアが金、ダブルスでは男女ともに韓国が金、男子ダブルスの銀がインドネシア、女子ダブルスの銀が中国でした。

 

1996年のアトランタ・オリンピックでは男子ダブルスで銀、男子シングルで銅に輝きましたが、2000年のシドニー・オリンピックと2004年のアテネ・オリンピックのバドミントンでは中国勢にメダルをほとんどとられてしまったのです。

 

そして、2008年の北京オリンピックで銀メダルを獲得したのが、リー・チョンウェイ選手でした。期待の星として颯爽と現れ、その次のロンドン・オリンピックでも銀メダルを獲得。彼の名声はマレーシア国内で一気に上がります。2012年のロンドン・オリンピックではサラワク州出身の女性選手が飛び込みでも銅を獲得しています。

 

2016年のリオデジャネイロ・オリンピックではバドミントン、飛び込み、サイクリングで最多の5つのメダルを持ち帰っています。そのうち銀メダル3個がバトミントンという強さでした。

 

リー・チョンウェイの引退で初の金メダルは誰に?

 

さて、オリンピック3大会でバドミントンで銀メダルを獲得したリー・チョンウェイ選手は6月13日に引退を発表しました。昨年7月に鼻腔ガンと診断され、その後に手術をして腫瘍は摘出したものの、これまで激しい練習で身体を酷使させたためか、このまま続けるとガンが再発する恐れがあるとドクターストップがかかったのです。

 

来年の東京オリンピックに出場後に引退を考えていたようですが、本人にとっては仕方のない理由でした。これまでのオリンピックで金メダルを取れなかったことに対して国民に謝罪し、記者会見後には涙を流す場面も見られました。彼はオリンピックだけでなく、世界選手権準優勝3回、全英OP優勝4回など男子シングルスで圧倒的な強さを誇ってきたのです。その彼が引退したとなるとオリンピックで初の金メダルを取れるのは誰になるのでしょうか。

 

国民的なスポーツであるバドミントンでマレーシアが金メダルを取れるのは間違いないでしょう。これまでにリー選手に多くのスポットライトがあてられてきましたが、その影に隠れてしまった優秀なバトミントン選手が数多くいます。彼らのほか、飛び込みとサイクリングの選手も実力を上げてきており、金メダルに手が届くかもしれません。いずれにしても、金メダルまではあと少しなのです。

 

 

伊藤充臣■在馬歴14年目。マラヤ大学人文社会学科歴史学科で修士と博士号を10年がかりで取得。趣味は読書と語学。専門の東南アジアを極めるため、最近ではクメール語に注力している。

 

記事掲載日時:2019年06月27日 00:47