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人はなぜ他人を「ズルイ」と思うのか

 

最近の日本のドラマには、「悪いお金持ちをやっつける」系統のプロットが増えているそうです。なぜでしょうか? モナッシュ大学の渡部先生は、背景には格差社会の到来があると語ります。

 

最近、日本のドラマを見る機会がなぜか増えていて、ここ数年の主要なドラマを観ている。なかでも面白かったのは、先日映画にもなった『コンフィデンスマンJP』だった。

 

長澤まさみ扮する天才詐欺師ダー子が、相棒のリチャード(小日向文世)、ボクちゃん(東出昌大)とともに、あくどく儲けている金持ちを騙し、大金を巻き上げるというストーリー。毎回、その悪人たちとの騙し騙される心理戦が見ものだ。脚本は映画『三丁目の夕日』シリーズや、ドラマ『リーガル・ハイ』で有名な古沢良太氏。凝った伏線や仕掛けが毎回楽しく、見ていて飽きない。映画は未見だが、DVD発売を今から楽しみにしている。

 

その他にも、今放映中の『ルパンの娘』や、もはや定番となった池井戸潤原作ドラマのひとつ『ノーサイド・ゲーム』も面白く観ている。

 

お金儲けをしている奴は「悪い奴」?

 

これらのドラマを観ている内に、気づいたことがあった。ここ数年、「儲けている悪い奴をやっつける」というプロットのドラマが増えている、あるいは人気を博しているように思える。もちろん、このプロットは時代劇ドラマの定番で、『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』といった時代劇は数十年にわたり、日本のお茶の間で愛されてきた。

 

だが、それらはあくまで「時代劇」だ。最近のドラマは、現代が舞台だし、主人公は義賊的だ。社会でのうのうと暮らしている「裏で悪いことをしている奴ら」を痛快に懲らしめ、その裏で正直に生きている市井の人々には何がしかの施しをする。

 

もしこのオブザベーションが正しいとすると、それはなぜだろうか。

 

それはつまり、「悪いことをして儲けている奴」「裏で不正をして金を儲けている悪い奴」が世の中にいて、そいつらに煮え湯を飲ませることで溜飲を下げたいと思っている人が増えてきたということだ。あるいは、そこまでいかないまでも、製作側はそういうものが世間に受けると考えているということだ。

 

「相対的はく奪」によって人は不幸を感じる

 

筆者はこの背景には、最近の「格差社会化」が関係していると考えている。所得格差が増えているだけでなく、社会のいたるところで「格差」が言われている。男女格差、正規、非正規による雇用格差だけではなく、例えばユーチューバーで大成功している人やSNSでインフルエンサーとして有名になった人についても「格差」を感じる。

 

その結果、多くの人々が、「自分は『下位』にいる」と考えてしまっている。ニュースやテレビにでてくるような「成功者」は、ごくひと握りに過ぎない。だが、彼らは目立つので、皆そのような人になりたい、あるいはなれるかもしれないと思う。だが現実はまったく違うため、そういう人々を羨む、という構造が出来上がる。

 

社会学的に言えば、この現象は「相対的はく奪」と呼ばれる。アメリカの著名な社会学者、ロバート・マートンによって提唱された言葉で、自分以外の他者の状態が自分の状態を決めるという現象だ。

 

こう書くとわかりにくいが、要は「テレビでお金持ちが目立っているのを見ると、自分はもらうべきものをもらっていない、はく奪されていると感じる」ことだ。世の中のひとに比べて自分は不当に損をしている、と感じてしまうのだ。

 

経済が好転すると、自殺が増える理由

 

自分が逆立ちしても買えないような高級車や高級品が飛ぶように売れている、イケメンでも美人でもないユーチューバーが大ヒットを飛ばし、大金を儲けている。仮想通貨で億り人、といったニュースは、「自分とたいして変わらない人が、たまたま運がよかったために、大儲けしている。それに引き換え自分はなんて不幸なんだ」という自己憐憫をもたらす。

 

社会学では有名な話だが、国の経済が悪い時よりも、良くなり始めたときに、自殺率が伸びる傾向がある。それは、経済が好転し始め、一部の人が金持ちになると、他の人々は相対的はく奪を感じ、より不幸だと思う人が増え、それが自殺につながるからだ。皆が貧乏な状態ではそうは思わない。

 

この相対的はく奪は、卑近な言葉で言えば「妬み・そねみ」に近いものだ。そういう感覚は、卑しいものであり、持つべきではないと私たちは教えられる。だが残念ながら、それを持つのは、人間として自然なことであり、避けがたいことだ。

 

どうしたら「希望」が持てるか

 

重要なのは、相対的はく奪から「自分もやれば成功できる」という希望を持てるように、いかに社会を設計するかである。その最も重要なのは、各個人の得意な部分を活かし、社会に貢献できるようなしくみをつくることであり、そんな能力を伸ばすことのできる教育制度をつくることだ。

 

例えば、自分の強みはどこにあり、それを活かすためには、どんな組織で働くべきか、また足りないところを伸ばすためには、どんな勉強や訓練が必要かを知り、その先にある「希望」を明確化する。

 

子供たちの得意、不得意を偏見なく判断し、「皆一律」に陥ることなく、個性を殺さないで伸ばす教育を施し、個性的な子供たちが集団で協力しあうことで、どんな素晴らしいことを達成できるかを体感させるような教育をする。

 

このようなしくみをつくることが、これからの日本に必要なのだと筆者は考えている。これ以上詳しく述べると長くなるので、また別の機会に述べたいと思う。

 

 

渡部 幹(わたべ・もとき)
モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授

 

UCLA社会学研究科Ph.Dコース修了。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。現在はニューロビジネスという大脳生理学と経営学の融合プロジェクトのディレクターを務めている。社会心理学を中心として、社会神経科学、行動経済学を横断するような研究を行っている。また2008年に共著で出版した講談社新書『不機嫌な職場』が28万部のヒットとなったことをきっかけに、組織行動論、メンタルヘルス分野にも研究領域を拡げ、企業研修やビジネス講師等も行っている。
代表的な著書に『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(共著、講談社刊)。その他『ソフトローの基礎理論』(有斐閣刊)、『入門・政経経済学方法論』、『フリーライダー あなたの隣のただのり社員』 (共著、講談社)など多数。

 

記事掲載日時:2019年09月04日 17:15