icon-plane 多様性に慣れるにはどうしたらいいのか

多様性に慣れるにはどうしたらいいのか

 

日本は多様性の少ない国と言われる。「違う人々」への接し方がわからない人は多い。どのように多様性に慣れればいいのだろうか。

 

少し前、インターナショナルスクールに通う娘の持ってきた宿題に面白いものがあった。それは、ファミリーツリーを3代まで遡って取材せよ、というものだった。具体的には、自分の曽祖父曾祖母(無理な場合には祖父祖母)の代は、何人でどこに住んでいて、どの世代がいつマレーシアに来たか、そしてその間に、父方母方から受け継いだ民族的、宗教的な儀式やしきたりがどう変わっていったか、そして親戚の中で他国から来た人々はどれだけいるか、についてだった。

 

「純血」な家系こそが珍しい

 

筆者と妻は、それらの質問を娘に聞かれて、少し困ってしまった。答えが非常につまらないからだ。曽祖父曾祖母の代から全員日本人だし、受け継いだ民族的、宗教的な儀式などは、ほとんど変わらない。マレーシアに移住してきたのは、筆者の代だし、それ以降のことについては、娘はリアルタイムで知っており、特に驚くようなこともない。親戚もほとんど日本人だ。唯一、妻のいとこがフランス人と結婚したくらいだ。

 

結果として娘の取材レポートは、かなり味気ないものになってしまったが、事実なのだから仕方がない。そのまま提出させた。

 

ところが、娘のレポートこそがクラスで皆の注目を浴びることになった。これだけ純血な家系は、マレーシアではとても珍しいからだ。ご存じのように、マレー系、中華系、インド系が混在するマレーシアでは、3代くらい遡ると、他の系統の血が混じっていることは珍しくない。親戚まで含めれば、他民族の血は必ずといっていいほど入っている。さらに、マレーシアではムスリムと結婚する異教徒は必ずムスリムに改宗しなくてはならない、血縁の中で宗教が違っていたり、途中から改宗していたりするのも珍しくない。というか、むしろそのほうが多いくらいだ。

 

その中で、親戚の(ほぼ)すべてが日本人だった娘のレポートは珍しいものだった。だが、それが仮に日本の中でのことならば、それは珍しいことではないはずだ。宗教についても、日本では仏教、神道がほとんどだ。むしろ日本の中で語られるのは、国内での出身地の違いや、仏教の中の宗派の違いなどだ。

 

この話を聞いて思い出したのが『ハリー・ポッター』に出てくるスリザリンだった。ハリー・ポッターたちが過ごす寄宿学校、ホグワーズには4つの寮があり、その中でもエリート集団の寮として知られているのが、スリザリンだ。純血魔法族を尊ぶものが多くいて、人間の両親を持つハーマイオニー(エマ・ワトソン)などには、「穢れた血」と、敵意の目を向けることも多い。魔法族の父親と人間の母との間に生まれたハリー・ポッターは、スリザリンの排他的で狡猾な寮風が嫌いで、組み分けのときにグリフィンドールにしてもらった経緯がある。

 

日本はよく多様性の少ない国と言われる。だからといって、人種や宗教の違う人々に対して、差別的な日本人が多いとは、筆者は思わない。スリザリンの寮生とは違う。ただ、そういった「違う人々」への接し方がわからない人は多いのだと思う。その理由は、本当に単純で、多様性の少ない環境で育ったから、なのだと感じている。

 

多様性の中で人間関係を作るには「共通点を探す」

 

一方、マレーシアでは、もう何世代にもわたり、多様性の中で、異なる背景や価値観を持ったものたちが付き合ってきた。そして時には結婚し、家族を作り、次の世代を育んでいく。その過程で、多様性の中での人間関係を学んでいくのだ。その経験値は、日本人は圧倒的に少ない。

 

筆者が観察した限りでは、多様性の中の人間関係を構築する肝は、「共通点を探すこと」だと思っている。多様性が少なく同質性の高い日本人は、外国人に比べると、よく「違い」に気づく。同じ日本人の中で、出身地、世代、学校、会社、居住地から、持っている車や持ち物の違いまで、微に入り細に入り、「違い」に注目する傾向があると思う。

 

その傾向は良い方向にも悪い方向にも向く。例えば、ちょっと言葉遣いが違う、人とは違った特徴があるだけで、いじめの対象になりやすい、といったものは悪い方向に向いたものだ。そしてマレーシア的観点(あるいはアメリカ、ヨーロッパ的観点)からみれば、そういった細かい「違い」は、違いのうちには入らない、もっと大きな違いを持つ人々が、山ほどいるのだ。細かい違いを気にしている暇はない。

 

そうなると重要なのは、いかに他者との共通点を探し、それをきっかけに人間関係をつくっていくか、ということこそが重要になる。以前にも書いた通り、筆者の職場もさまざまな人種の人々がいる。そこでは、同じ意見や見解を共有できるかが、仕事をスムーズに運ぶための鍵になってくる。

 

つまり、日本人は、同質性の高い社会の中で、細かな違いを見つけることには長けているが、多様性の高い社会で、共有できるものを見つける経験が少ないのだと思う。

 

これから、ヒト、モノ、コトの流動性は、どんどん大きくなる。それにつれて、多様性の中で同質性を探すことが、より重要になるだろう。折角マレーシアという多様性の国に住んでいるのだから、その練習を普段からしてみるのはどうだろうか。特に親日的で日本にも興味を持ってくれる人が多いマレーシアだ。共有できるものを探すのはそんなに難しいことではないはずだ。

 

渡部 幹(わたべ・もとき)
モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授

 

UCLA社会学研究科Ph.Dコース修了。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。現在はニューロビジネスという大脳生理学と経営学の融合プロジェクトのディレクターを務めている。社会心理学を中心として、社会神経科学、行動経済学を横断するような研究を行っている。また2008年に共著で出版した講談社新書『不機嫌な職場』が28万部のヒットとなったことをきっかけに、組織行動論、メンタルヘルス分野にも研究領域を拡げ、企業研修やビジネス講師等も行っている。
代表的な著書に『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(共著、講談社刊)。その他『ソフトローの基礎理論』(有斐閣刊)、『入門・政経経済学方法論』、『フリーライダー あなたの隣のただのり社員』 (共著、講談社)など多数。

 

記事掲載日時:2018年09月04日 23:36