こういう場所では、自分が受けてきた教育の話を避けて通ることはできないなーと最近思ってます。
そんなわけで、ちょっと恥ずかしいですが、私のことを少しお話しします。
我が家は母子家庭でした。母親はいつも仕事で忙しく、「お金がない」と歌ってました。
なので、子供達の仕事は主に夕食の支度と後片付けでした。
だから、「家事をしなさい」と言われたことはあるけれど、「勉強しろ」と言われたことがないのです。
もちろん、小中高と公立学校でした。
なぜか「スポーツしろ」とはやたら言われました。おかげでスポーツと家事が大嫌いになりました。
あれこれしなさいと子供に言わないほうがいいです。
本が好きだったので国語だけは得意でしたが、ほかは中学1年で落ちこぼれてしまいました。
数学と英語は何をやっているのかすらわからない状況。
数学は最初の方程式でつまづき、英語は何を勉強しているのかすらわかりません。
「Alphabetを書きなさい」という問題で、「Alphabet Alphabet Alphabet…」とひたすら何度も書いて周囲に笑われたりしてました。
親に強制されイヤイヤ入った運動部で毎日くたくた。
授業中はぼーっとして、塾にもいかず、そのまま高校受験の中学3年を迎えました。
ところが相当勉強が遅れています。とくに数学に関しては、中学1年レベルで私の理解は止まっていました。
さすがの母も心配になり、友達のお父さんに頼んで、週末に数学と英語の補習をしてもらうことにしました。
で、ようやく方程式や英語の基礎を理解する始末です。これにはいまでも感謝しています。
とにかく校内暴力全盛期の学校で、窓ガラスは穴だらけ。喧嘩も日常茶飯事で、卒業式には警察がきました。
けれどそれがモチベーションになりました。
荒れた学校から抜けたい一心で勉強しました。数ヶ月後には親に頼んで塾にも入れてもらいました。
かなりの落ちこぼれだったので、偏差値は面白いように上がっていきます。私はもともとテストなどの本番に強いタイプで、模擬テストはゲームみたいで楽しかったです。最後は勉強自体が楽しくてしょうがなくなりました。
そしてなんとか進学校と言われる都立高校に入りました。
高校受験で私が学んだことは、
「相当落ちこぼれてても、ギリギリになって頑張ればなんとかなる」
ってことです。恐ろしいことに、これが私の基本哲学になってしまいました。
その高校でまた勉強が遅れていきます。
続きはまた。
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